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『備忘録音』オフィシャルインタビュー

<周りのことに左右されず、充実した制作を>

――2月の「焼き魚」配信の際にポニーキャニオンとの契約満了が発表され、今作「備忘録音」は独立後初のアルバム作品となります。レーベルを離れたことで制作に関して何か変化はありましたか?

 

吉田 今回のアルバム制作に関してはレーベルを離れるといったことよりも新型コロナウイルスの影響が大きすぎて。最近になって僕らの活動もほぼ通常営業に戻り、振り返って感じるのは2020年くらいに山田がえげつない量の曲を作っていたな、ということ。当時はそこまで気にしていなかったけど、アルバムを作るに当たってデモを見返してみたときに、山田から生まれた曲がものすごい量あったんですよ。

 

山田 最近になって「あのときってどういう時期だったんだろう」と考えることがあって。自分の中ではバランスが崩れていた時期だったんですよね。

 

――バランス、というのは?

 

山田 活動のバランス、もっと言えば精神的なバランスなのかな。デビュー以降、ライブをほとんどせずにただただ曲を作り続ける期間というものが全然なくて。それは僕にとっての異常事態だったから、どこか満たされないというか、ミュージシャンとして物足りないような感覚があった。ライブをしていると感動したり、心が震えたり、自分の感情が解放されているような瞬間がある。でもそれがまったくないと、その分、曲を作ることで“表現したい”という欲求がすごく湧いてきたのかな。普段の僕はライブで感じたことを曲にすることが多いけど、この時期は自分の内面をずっと掘り下げながら曲を作り続けていたから、コロナ以前では書けなかったような曲が生まれたと思います。

 

――山田さんが多作になったことに対して、吉田さんの作曲に変化はありましたか?

 

吉田 山田の場合、メロディと歌詞がほぼ同時に生まれるから、それが曲の種になるんですが、僕の場合、最初に曲のアレンジ感が浮かぶことが多いんですよね。要は仕上がりのイメージが浮かんでしまうから、けっこう作り込まないと僕のやりたいことが伝わらない。曲の仕上がりはイメージできているけど、先立つものがないからとりあえずアコギでコードを付けて、とやり始めるわけですが、そうするとめちゃくちゃペースが遅い。どうしても最初に時間がかかっちゃうから、山田のようにたくさん曲を生み出すことはできていなかったですね。それと、コロナがあって曲の聴き方が変わったのも大きいかもしれない。

 

――音楽の聴き方がどう変わったんですか?

 

吉田 それまでの僕は歌詞の意味を考えながら音楽を楽しむタイプだったんですけど、部屋にいる機会が多くなったからか、BGMとしてなんとなくパッと音楽をかけるような習慣になって。例えば「雨の日で憂鬱だったけどこの曲をかけると空気が変わるな」とか、「この曲をかけると部屋の感じがちょっとお洒落になるな」とか。もちろんこれまで通り歌詞とちゃんと向き合うこともあるんだけど、それよりも音楽の雰囲気を重視するようになって、70年代のテイストなのか80年代なのか、J-POPなのかロックなのか、洋楽だったらイギリスなのかアメリカなのか。そういう興味関心に寄ることで、自分の音楽でやりたいことも少しずつ移り変わってきた気がするんですよね。それを1人で、まずは自宅で録音しなきゃいけないから当然時間がかかるわけです。そうやって生み出された曲がアルバムには入っているから、これらの音楽がみんなのところでどう響いてくれるのか、すごく楽しみですね。

 

――吉田さんの音楽の聴き方が変わったことや、「アレンジ感から浮かぶ」という曲の作り方は、アルバムの収録曲に表れているサウンドの多様性にもつながっているように思えます。

 

吉田 全部が全部、僕の発想というわけではなく、アルバムのアレンジを担当してくれたはたっぷ(幡宮航太)とかねまっちゃん(兼松衆)のおかげでもありますね。アレンジの依頼って難しくて、曲の仕上がりをお願いしたのに「ここをもうちょっとこうして欲しい」みたいに言うのが適切じゃないケースがあるんですよ。「イメージできているのであれば、自分でやればいい」と言われてもおかしくない作業なので。そういう意味で、はたっぷとかねまっちゃんは年齢も近いし、付き合いもだいぶ長いので、いろんなことがストレスなく進められる。こちらのやりたいことを汲み取ってくれるし、柔軟にアイデアを出してくれる。僕や山田がやりたいイメージをかなり解像度高く、さらにいろんなアイデアをまぶしながら形にしてくれました。これはアレンジャーに限る話ではなくて、僕はドラムが叩けるわけでもエレキギターがすごくうまく弾けるわけでもないから、曲を完成させるには絶対に誰かの力を借りなければいけないんですよ。失敗も含めてこれまでいろんな経験をさせてもらったから、今なら「この人に頼めば間違いない」というのがすぐわかる。だから今回はめちゃくちゃ満足のいく制作ができました。充実した制作が活動の中心にあるから心がとても落ち着いていて、その周りにあるいろんな変化にはあまり左右されず、アルバム作りに集中できた手応えがあります。

 

【全曲解説インタビュー】

01. Monster 〜山田自身を表現した新曲〜

――1曲目「Monster」はイントロを聴いた瞬間に、「これまでの吉田山田のアルバムとは違うぞ」と思わせる楽曲に仕上がっています。演奏はストリングスのみという潔いアレンジのこの曲はどのように生まれたんですか?

 

吉田 山田が作ってくれたデモをBGMにして車を走らせることがよくあるんですが、「Monster」を聴いた瞬間、「あ、この曲は化ける気がするな」と思ったんですよ。そのとき聴いていたデモはかねまっちゃんがピアノの伴奏を付けてくれたシンプルなものだったんですが、いっそストリングスだけにしてもいいかもなと思い付いて。かねまっちゃんは弦の構成を書くのもめちゃくちゃ上手だから、手直しもほぼなくて。仕上がりを聴いたときに「あ、この曲は1曲目だな」ってすぐ思い付きました。出来上がるまでは、どれを1曲目にしようかなんか全然考えてなかったのに。

 

――作曲をしたのは山田さんですよね? ご自身が書いた曲がここまで大きく変化するのはどういう感覚ですか?

 

山田 すごく驚きました。もともとこういうアレンジの曲になるとは全然考えてなくて、散歩をしながら生まれた曲なんですよ。改めてこうやって歌詞と向き合うと、本当に自分自身の曲だなと思う1曲ですね。特に「振り回されているのは自分かも」という1行は、まさに僕のことを表した言葉で。いろんな人との付き合いがある中で、僕は周りにいる人たちに対して「変な人が多いな」と思っていたんですよ。でも周りの人からすると「山田くんって何考えているかわからない」と言われることが多くて。それで僕が誰かを傷付けてしまうこともあるし、打ち解けていけばいくほど人との距離が遠くなるように感じる瞬間もある。そういう思いが曲になったのが「Monster」です。

 

吉田 この曲はアレンジで化けた曲なので、デモの段階ではもうちょっと違う空気感だったよね。

 

山田 曲を作り始めたときに頭に浮かべていたモンスターのイメージと、アレンジされたあとに頭に浮かぶモンスターのイメージがすごく変わったので、編曲のすごさ、音楽のすごさを改めて感じた1曲ですね。

 

 

02. YADANA 〜「やだな」って叫ぶと気持ちいい〜

――タイトルにある通り、生きる上での「YADANA」という感情がそのまま吐き出された1曲です。ネガティブな感情をそのまま歌詞にして歌うというのは、三部作(2017年から19年にかけてリリースされた「変身」「欲望」「証命」の3作品)以降に定着したスタイルですよね。

 

山田 昔のインタビューで「自分が泣ける曲を作りたい」と話したことがあって、その後に完成したアルバムを作っていたときに、自分で作った曲を聴いて泣いたことがあったんですよね。そんなことを思い出して、最近自分で何を言っていたか遡ってみたら、「あまりイライラしたりすることはないけど、そういう感情もちゃんと曲に入れられたらいいな」と話していて。インタビューのときに話したことはすっかり忘れていたんですが、そういう頭の片隅にあることを具現化しているのかもしれないですね。あまりネガティブなこと言ったりするタイプじゃないけど、本当は僕も負の感情をちゃんと叫びたいんだな、ということに気付かされた1曲です。

 

――実際に声を出して「YADANA」という曲を歌ってみて、何か心の中で消化されたものはありましたか?

 

山田 ありましたね。漠然としてますけど、なんかスッキリする。「やだな」って叫ぶとなんか気持ちいいんですよ。それは僕が普段あまり言わない言葉だからかもしれないですけど。

 

――ちょっと大人びたサウンド感で、「YADANA」も「Monster」と同じく吉田山田の新境地を感じさせる印象でした。

 

吉田 アレンジに関しては、はたっぷのセンスが光った1曲ですね。デモの段階であまりイメージが湧いていなくて、はたっぷに聴かせてみたら「やりたいのがあるから預けてくれないか」と言われて。でてきたのがほぼ今の完成形に近い「YADANA」でした。これ、ピアノを弾く人じゃないと出てこないコード感なんですよ。だから僕の引き出しからは出てこないアレンジでした。僕が要望を出したのは転調の部分かな。どこかの音楽評論家の人が「日本人の若者にようやく“転調”という文化が根付いた」と言っているのが目に入って。「YADANA」はちょっと特殊な転調に挑戦した曲ですね。単純に2音上げるとかじゃなくて、敢えて転調で下げたものを階段みたいに上に上げていく、みたいなことをしてみました。いい感じのものになりましたけど、ギターで超弾きにくいんですよね(笑)。

 

 

03. 人間 〜うまく歌うことが正解じゃない〜

――「Monster」「YADANA」の2曲が吉田山田にとって斬新なアレンジだとすれば、3曲目の「人間」は吉田山田の魅力をシンプルに伝える楽曲です。編曲のクレジットも「吉田山田」になっていますし、この曲は自分たちで仕上げまで持っていったわけですよね。

 

吉田 「人間」はデモの段階でほぼ出来上がっていたから、アレンジャーさんの手を借りるまでもなかったというか(笑)。ギター弾いて歌を入れた段階で、この曲は何も足さなくていいな、と思えた。「人間」という曲は、素朴なことを歌っているようで実はけっこう深いことを歌っている楽曲で、そこに余計な味付けはいらないかもなって。

 

――「焼き魚」の取材時にレコーディングをしていた楽曲が「人間」で、そこで吉田さんがこの曲について「あまり歌い込まないほうがいい」と言っていたのが印象的でした。なので、レコーディングの時間もすごく短くて。逆にライブだと否が応でも歌い込むことになってしまいますが、そこはどう折り合いを付けているんですか?

 

吉田 レコーディングでは「うまく歌うことが正解じゃないな」と思ったので歌い込まないようにしていましたが、ライブではまた正解が違くて。ライブの場合は会場が違うし、来てくれている人も違うから、毎回ちゃんとそのライブならではのよさが出るんですよ。今回のツアーではアコースティック編成のときから「人間」を欠かさず披露してきたから、どんどん歌い慣れてはいきましたが、ライブのときは客席を見ながら、そこにいる“人間”次第で響き方が変わるので、自然と歌えばそれが正解になる、という考え方ですね。僕は特にライブの本数が多いからと言って、ライブがルーティン化していくのを嫌うタイプなので、あの手この手でライブをその日ならではのものにしようとしています。こう見えて、山田はけっこうルーティンが好きなんですよ(笑)。

 

山田 ルーティンが好きというか、決められたことはちゃんとやろうとするタイプ。

 

吉田 うん。だから山田が置きにいく動きをしたときに、僕が即興で予定にないことを挟んでハッとさせる。そうすると120%の力が出るときがあるんですよね。僕としてはどっちが正解とかもなくて、いつも80〜100点のライブをしてもいいんですよ。もしかしたらお客さんの中には普通に歌ってほしいと思っている人もいるかもしれない。でも僕は「なんか今日、楽しかったね」って思ってもらいたいし、僕も山田とふざけて楽しみたい思いがある。だから前回と違う楽しさだったり、前回よりもいいライブを目指して山田に茶々を入れちゃうんですよね(笑)。

 

 

04. 東京 〜ドラッグストアで見かけたカップルを題材に〜

――「東京」は吉田さんがドラッグストアで見かけたカップルの姿に着想を得て、楽曲が作られたとライブで語られていました。

 

吉田 僕と山田はどちらも東京出身だから、普段暮らす東京をテーマに曲を書いたことがなくて。たまたま見かけたカップルがいなければ「東京」は生まれなかったと思います。直接話を聞いたわけでもないし、見かけただけだから曲で描いていることは僕の妄想でしかないんですが、そのカップルがあまりにも生々しかったんですよね。おそらくまだ人間関係を構築している最中の2人で、若いときのお金のなさがありながらも、楽しさを感じさせるような空気感とか。僕は上京を経験したことがないけど、もし地方から東京に出てきたとしたらこういう経験をしていたのかな、みたいな重ね方はしていたかな。この曲の「絡まないし引っ張られない Bluetoothのイヤフォン どれくらい離れたら 繋がらなくなるのかな」という歌詞は山田が考えてくれた部分で、この曲の中で1番好きな歌詞かも。

 

山田 よっちゃんにこの話を聞いて感じたのは、みんなこの風景って見たことがあるんじゃないかなということ。すっぴんの女の子が上下スウェットで財布だけ持ってドラッグストアに来ている。ただ幸せそうなわけじゃなくて、ちょっと寂しそうにも見える、そんな風景を思い描いたら胸がぎゅっとなったので、それをどう表そうかなと思い、僕らが若いときにはなかったけど、Bluetoothのイヤホンでうまくかけないかなと思って。

 

吉田 この一節を読んで「僕の描きたかった世界観をちゃんと山田は受け止めてくれてるな」と思いました。実はワンコーラスだけ作ったものを相方に送って、続きの歌詞を書いてもらうのって、うまくいかないことが多いんですよ。特に山田は曲の根っこから自分で生み出すタイプで“0から1を作る”タイプの人間だから、1になったものをふくらます作業がそこまで得意ではない。でも「東京」はその分業がすごくうまくいったレアケースですね。

 

 

05. こんな夏はいやだ 〜根暗が作る“根明”な夏ソング〜

――ライブで初めて聴いたときは驚きました。吉田山田には珍しい、弾けるようなサマーチューンですね。

 

吉田 もうね、吐きそうになるくらい作詞に苦労しました。根暗な僕に“根明”の夏ソングが本当に作れなくて、本当に頭を悩ませました。僕らで言うと「夏のペダル」とか夏の曲がまったくないわけではないんですが、どうしても切なさに逃げちゃうんですよね。この曲は切なくしたくなくて、100%明るい夏の曲として完成させたかったので、切なくなりそうになるたびに軌道修正して。書き上げたの、レコーディングの朝だったんじゃないかな。

 

――100%明るい歌詞で構成されながらもタイトルを「こんな夏はいやだ」にしたのはなぜですか?

 

吉田 個人的には切なさに逃げず、恥ずかしくないギリギリのラインの歌詞が書き上げられて満足感があったんですが、改めて歌詞と向き合ってみたときに「俺、こういう夏好きじゃないな」と思っちゃって。3年に1回くらい、湘南の海沿いで海の匂いを嗅ぎながらこういう曲を聴きたい気分にはなるけど、基本的にはこういう夏の過ごし方は全然肌に合わない。だから最初「夏は嫌い」ってタイトルにしてたんですが、それはスタッフさんを含めて全員から「言葉が強すぎる」って反対を喰らい……。かといって「サンシャインガール」なんて曲名だったら寒すぎるんですよ。それでスタッフさんと相談しながら出てきたのが「こんな夏はいやだ」で、これだったら僕ららしい、ちょっとだけ素直じゃない夏ソングとしてライブでも歌えるんじゃないかなと。

 

山田 1つ訂正していいですか? よっちゃんは「僕ららしい」と言ってますが、僕は夏が大好きなんですよ。なんならこの曲は夏大好きな僕がデモを作ったら「ちょっといいサビ浮かんだから作らせてよ」と言われて預けた曲。「いい夏の曲になりそうだなあ」って、楽しみにしてたらこんなタイトルの曲になっちゃった。僕のお気に入りの曲がフリに使われてる!と思いました(笑)。

 

吉田 夏が大好きな人間と夏がそんなに好きじゃない人間が一緒に作った夏の曲ですね。面白い化学変化が起こった1曲だと思います。

 

 

06. 日曜日 〜作為なく完成した吉田が全編歌う曲〜

――「日曜日」の特徴は全編にわたって吉田さんがメインボーカルを担当していることです。山田さんが全編歌う曲はそこそこありますが、吉田さんが全編メインボーカルの曲って珍しいですよね?

 

吉田 おそらく初めてですね。「日曜日」は僕の中で “作為なくできた曲”なんですよ。作為がなかったから自分の歌いやすいキーで気持ちよく歌うのが正解だから、僕が全部歌っちゃったほうが気持ちいいのかもな、と思いまして。もちろん山田が歌えないことはないけど、山田が歌うイメージも湧かなかった。割と自然に「この曲はこうだよね」と着地した気がします。

 

――これまでものインタビューでも「歌割りが自由になっている」という話はたびたび出ていましたが、今回の「日曜日」を聴いてその究極形を見た気がします。

 

吉田 Aメロが吉田だったらBメロは山田、みたいな固定観念に捉われなくなりましたね。もちろん曲によってはそれを大事にすることもありますけど、この曲に関してはそうじゃなかった。ライブのときはどうしようとか、そういう細かいことを全部置いといて、アルバムの中の1曲としてこういう曲があってもいいんじゃないか、と思えるようになったのは最近になってからかもしれないですね。

 

――「日曜日」に限らず、今回のアルバムで吉田さんが作った曲はすごくミニマルというか、身の回りのことを歌った曲が多いですよね。

 

吉田 家にいる時間が多かったからでしょうね。結婚もしたし、家族で過ごす時間が多かったからかな。でも割と僕は昔から「素朴なことを歌いたい」と思っていた人間なので、もともとそういうところがあったのかもしれない。

 

――対して山田さんはけっこう深いテーマを歌う曲が多いですよね。

 

山田 確かに。でももしかしたら「生きる」というテーマは一緒で、アウトプットが違うだけなのかもしれないですね。

 

 

07. 焼き魚 〜ちょっと無理してセトリに入れたスパイス〜

――「焼き魚」に関してはすでにインタビューが公開されているので、ちょっと違うアプローチで話を伺えればと思います。山田さんって趣味嗜好が“ノスタルジー”に寄った人だと感じていて。それが「日々」のように楽曲に表れていると思うんですが、「焼き魚」に関してはそのベクトルが過去ではなく未来に向いているのが珍しいと感じました。

 

山田 確かにそうかもしれないですね。「焼き魚」はすごく未来的な歌詞ではありますけど、実は宇宙と“四畳半”を重ねた曲なので、ある意味ではノスタルジーなんですよね(笑)。舞台は宇宙だけど四畳半でちゃぶ台で、焼き魚ですから。

 

吉田 山田はそこまで意識していないかもしれないけど、子供ができたことが影響しているかもしれないですね。意識の中にある程度大きな存在として子供があるはずだから、おそらくこれからを生きる人へのメッセージとして生まれた曲なのかもしれないですね。

 

――「焼き魚」はアコースティック編成のライブでも欠かさず披露された楽曲でもあります。ライブでの響き方はどうでしたか?

 

吉田 もともとアコースティック編成のセットリストをなんとなく組み立てていたときに、ちょっとスパイスが足りないような感覚があって。曲を作った当初は「焼き魚」をアコースティック編成でどう演奏するかなんて考えてなかったけど、ちょっと無理してでもこの曲を入れたほうが面白くなる予感がしていました。まあ、この曲をどうライブに入れるかは悩みどころだったんですが(笑)。

 

――アコースティックギター1本で再現できる曲ではありませんからね。

 

吉田 「アコースティックでそんなことやっちゃうの?」みたいなインパクトを、この曲なら与えられる気がしたんですよね。実際やってみたらけっこう楽しくて、その日の気分によってBPMを変えて、ダルそうに弾く日もあれば、サビだけめっちゃ速くするようなことも試しにやってみて。山田はちゃんとボーカルで付いてきてくれるから、やってて楽しい1曲でしたね。

 

 

08. 裸 〜あの子に向けて歌う「生きているだけでいい」〜

――「備忘録音」というアルバムの収録曲には「生きる」という言葉がたくさん使われていると、ライブのMCで話されていましたが、「裸」はもっともそのテーマを真正面から歌った楽曲だと思います。

 

山田 この曲を書いたときに考えていたのは、僕が高校時代にアルバイトをしていたカラオケ屋さんで一緒に働いていた友達のこと。その友達はめちゃくちゃ明るい子でネガティブなことなんて一言も言わなかったのに、自ら命を絶つ選択をしてしまった。そのことを思い出したときに出てきたのが「生きているだけでいい」という言葉でした。生きていると、何かやり遂げないといけないと思いがちだけど、生きているだけで本当にすごいことなんだと僕はあの子に伝えたいのかな。もう届かないことなんだけど。

 

吉田 僕が最初にこの歌詞を読んだときに受け取った印象は逆で、これからを生きる者に向けて歌った曲だと思ったんですよ。よくよく話を聞いてみたら、山田が過去に経験したことをもとにした後悔が歌われている曲だと知って。でもこの曲は過去にあったことを悲しさだけで終わらせていないんですよね。これからを生きる命に対して、自分自身に何ができるのか、という問いが山田の中に生まれたと思うから。それは「もしあの子が生きていたら」というifの話かもしれないけど、これからを生きる者に向けたメッセージにもなっているんじゃないかな。

 

 

09. 夜な夜な 〜箸休めで作った冬の曲〜

――「こんな夏はいやだ」とは正反対な冬の空気感を歌った曲が「夜な夜な」です。この曲はどのようなきっかけで生まれたんですか?

 

吉田 本腰入れて2、3曲作ったら箸休め的に1曲やりたいことをやる制作を挟むんですよ。「夜な夜な」はその“箸休め”で作った“陰気な冬の景色を見ながらオジさんの心象をダラダラ歌う曲”ですね。「どうせ採用されないだろうな」と思いながら出したら案外反応がよくて。そうは言っても僕の中ではそこまで腑に落ちてなかったものの、はたっぷに相談したらめちゃくちゃいいサウンドに仕上げてくれて、アルバムの収録曲として採用されることになりました。

 

――曲の結びに出てくる「最後のタバコを吹かしながら そう思った」という一節、これまでの吉田山田だったらなかった言葉選びですよね?

 

吉田 これまでだったら省いてしまう表現だったかもしれませんね。なんでもかんでも整えられたものだけを出していたら、それは面白くないものを出し続けることになるから、まずは出してみようと。この一節に限らず、昔の僕だったら「夜な夜な」のような暗い思いをただつらつらと書いた曲をよしとしなかったと思うし(笑)。

 

山田 これまでのよっちゃんだったら、もっと意味のあることを歌う曲になったと思うけど、「夜な夜な」はいい意味で無意味な感じというか、余白がある。考えさせる隙間があることによって、聴いている人の頭に残る言葉が変わると思うんですよね。こういう力の抜き方はすごくいいなと思いました。

 

吉田 個人的に「うまく書けたな」と思ったのは、所々にちゃんと感覚が入っているところ。「冬の匂いがした」とか「ほっぺたが冷たかった」とか。こういう曲って自分の思いとか経験ばかりを羅列しがちで、けっこう聴き手に共感してもらう要素が不足しがちになってしまうんですよ。でも五感のどれかが入ってくるとハッとしてもらうきっかけになる。これをナチュラルに入れるのがけっこう難しいんですが、「夜な夜な」はそれがうまくできた気がします。

 

 

10. もしもの話 〜海に出る山田と陸で待つ吉田〜

――作詞のクレジットは「吉田山田」ですが、冒頭の「もしも顔が違ってたら」という歌い出しから山田さんのイメージが強い楽曲だと感じました。

 

山田 僕、人のことを好きになるときって一目惚れしかないんですよ。「なんでこの人に惚れたんだろう」って考えるけど、毎回口で説明することができない。だから「この子の顔が違ったらどうだろう」とか、そういうことを順番に考えていって、自分がなぜ好きになったかをよく考える。それは相手だけじゃなくて自分自身にも当てはまるから、もし僕の何かが変わっても好きでいてくれるのかな、みたいなことに思いを巡らせながら作ったのが「もしもの話」ですね。

 

吉田 僕は山田とまったく違って、一目惚れをしたことがないんですよ。もっと言えば、「なぜ好きか」「本当に好きか」みたいなことってよくわからない。でも山田が書いた歌詞は「好き」が大前提なんですよね。だから山田が書いた1番に続いて僕が歌詞を書くのはけっこう大変で。

 

――1番と2番で歌詞のアプローチが変わるのは書き手が変わっていたからなんですね。

 

吉田 はい。吉田山田のことを長く応援してくださっている方々は、おそらく「この曲は吉田が作ったのかな」とか「山田が作ったのかな」って、なんとなく想像できると思うんですが、この曲に関しては1曲の中で「ここは吉田かも」と思えるようになっていると思います。1つ気付いたのは、山田が描く恋愛とか自分の人生って、海とか船が出てくることが多いんですよ。山田は航海をしがち。

 

山田 そうかも。

 

吉田 それに対して、僕はこの曲で「屋根」と書いているんですよ。僕はね、陸で待ってるタイプ。

 

山田 なんとなくよっちゃんのほうが地に足が付いている歌詞を書いているとは薄々感じていたけど、そんなに明確な違いがあるとは思っていなかったな。

 

吉田 とにかく山田はよく旅に出ている(笑)。そういう性格が歌詞に表れているのは面白い。対照的な考え方を持った2人が1つの曲を作るとこうなる、というのが読み取れると思います(笑)。

 

 

11. 音楽 〜アルバムで一番化けた〜

――昨年のツアーやアコースティックツアーで披露されていた「音楽」に聴き慣れていたので、バンドセットでの大胆なロックアレンジには驚きました。

 

吉田 今回のアルバムの中で一番“化けた曲”が「音楽」ですね。アレンジのはたっぷが天才的な活躍をしてくれて。歌の内容としては優しくて柔らかいものだけど、どっしりとカッコいいロックサウンドに仕上げてくれたのは彼の力があってこそですね。

 

山田 最初に僕とはたっぷでデモを録った段階からバスドラムとエレキギターを入れたロック調でした。

 

吉田 デモの段階では“吉田山田感”のあるアコースティックな感じだったけど、はたっぷがこの曲にパンチを効かせてくれて。特に気に入ってるのがBメロでクラップが入るところですね。これまでは「みんなで一緒に手拍子しよう」みたいな、アナウンスのような入り方のクラップが多かったんですが、この曲に関しては耳に入ってきた瞬間に「1人じゃない」と思えるような。

 

――この曲のクラップはスタジアムロックのような壮大さを感じさせる音で、吉田山田の楽曲でこういう響き方の曲はこれまでなかったかもしれないですね。

 

吉田 手を鳴らす一人一人がそれぞれいろんなものを抱えながら生きてきて、ここで音が合う、というのがこのクラップには込められた気がして。この音を入れてくれたはたっぷには本当に感謝しています。それとこの曲はよっち(河村吉宏)のドラムがすごくいい。めちゃくちゃ懐の深い、存在感のある音を出してくれました。

 

――山田さんのアカペラによる「生きることは 淋しいこと」という歌い出しも印象的ですよね。ハッとさせられるというか。

 

山田 作っていて感じたのは、この曲が「魔法のような」(2013年リリース)にちょっと近いということ。根っこの部分で音楽そのものを歌うというところが近いんですよね。「魔法のような」という曲を生み出してから10年経って、10年後の僕が表現する「魔法のような」が「音楽」です。

 

――「魔法のような」と大きく違うのは、「音楽」では生きることの淋しさや虚しさのような影の部分が楽曲にちりばめられているところだと思います。山田さんはどういうときに“生きる淋しさ”を感じますか?

 

山田 10年前と大きく変わったのはファンとの距離感なんですよね。距離がどんどん近くなっている。ラジオに寄せられるメールだったり、配信のときに書き込んでくれるコメントだったり。「実は今、こんなことで悩んでいます」みたいなことを知れば知るほど、ステージに立っている僕らよりもみんなのほうがドラマチックな戦いを繰り広げているなと思う瞬間があって。ライブをして握手会をしているだけでは知り得なかった一人一人の裏側を知れば知るほど、みんな淋しい瞬間や虚しい瞬間があって、それがあるからこそライブという限られた時間を楽しみにしてくれているんだな、ということが実感できた。例えばライブをしているとき、僕らじゃなくてお客さんの中の一人にスポットライトが当たっているように感じる瞬間もあるんですよ。そういうときに感じた、僕が音楽でやりたいことを込めたのがこの曲なんじゃないかな。

 

 

11. 最後の歌 〜ちょっと邪悪な本音が入ると安心する〜

――ボーナストラックとして収録される「最後の歌」は、ライブの終盤のMCで2人が語るような内容が綴られた楽曲だと感じました。

 

山田 まさにライブのMCで伝えてきたこととか、「ああ、もっとこういうことをMCで言えばよかったな」ということを詰め込んだ曲ですね。ツアーを回りながら作っていた曲だから、こういう1曲になったのかな。

 

吉田 僕、山田がこの曲の中で「残念だけど世の中そんなもんなんだよ」って書いていて、少し安心したんですよ。山田は基本的には悪態を吐かない、弱音を言わない人間で。僕は大学時代に心理学を学んでいたし、カウンセラーのような職業に就くことも考えていたから、強くあろうとする人の脆さというか、弱音を言わない人間が人知れず追い詰められてしまうような傾向にあることがなんとなくわかるんです。だから山田を見ていてたまに「大丈夫かな」って不安になることがある。この曲に限らず、最近山田が作る曲の中には山田のちょっと邪悪な本音が入っていて、それを見ると僕はホッとするんですよ。人間、生きていれば必ず満たされない瞬間があって、不満はあるものだから、どこかで吐き出さなければいけない。僕はそれを日常的に言って解消するけど、山田はそうじゃないから。「最後の歌」はネガティブなことばかり歌ったものではないけど、本音でぶつかって背中を押す曲だから山田の人間がすごく出ていると思います。

 

――今年のツアーでは「音楽」で始まって「最後の歌」で終わるセットリストが展開されました。

 

吉田 今回のツアーは僕らの中でも珍しく、まだ世の中にリリースしていないアルバムの収録曲をいち早く皆さんに聴いていただく機会として捉えていたから、アルバムの楽曲たちをどう届けるかけっこう考えなければならなくて。「音楽」はライブの最後にもふさわしい曲だとは思うんですが、「最後の歌」を途中にやるわけにもいかないので(笑)。自然と「音楽」で始まって「最後の歌」で終わるセトリが定着していった感覚ですね。

 

山田 特に今回のツアーの後半、バンドセットでの3公演はアルバムの収録曲を全部やる内容だったので、お客さんからどんな反応があるか楽しみで。未知なことにチャレンジするという意味ではヒリヒリした3公演だった気がする。

 

吉田 僕はすごく貪欲にお客さんの表情、反応を見てました。予想通りの反応か、そうじゃやないのか。例えばアンコールの1曲目に僕ら2人だけで歌った「Monster」はライブで初めて“異質な自分たち”を見せる瞬間だったので、どういう反応をしているか、かなり集中して客席の皆さんの表情を見ていました。バンドセットのライブ、3回だけじゃもったいなかったよね(笑)。もっといろんな表情が見たかったし、バンドとしての完成度も回を増すごとによくなっていったから。次にどんなライブができるのか、僕ら自身がすごく楽しみにしています。

 

 

<2人が考える“生きる”ということ>

――「備忘録音」には「生きる」という言葉がよく出てきますが、吉田さんと山田さんは「生きる」ということをどういうものだと捉えていますか?

 

山田 今ふと思い付いたのは、バトンを受け取ることですね。いろんな人からのバトンを受け取って、それを持っているイメージ。そもそも僕は父親と母親の遺伝子を受け継いで、半分ずつもらって生まれたわけですよね。もっと遡れば親も誰かと誰かの遺伝子を注がれて生まれている。僕の中にある血液って、数え切れないほどの人たちのものを受け継いでいるから、1人の命じゃない。だからもうすでに“何か”は持っている感覚があって。生まれて生きている時点で大事なものは持っているから、それをどうするか、次にどう渡すのか。それが生きるってことなんじゃないかなあ。

 

吉田 「生きる」かあ。難しいですね。「なぜ生きるのか」という問いに対する答えはまだわからないというか、明確に「これが生きるということです」という答えがない。今回のアルバムで僕らが歌っているように、このテーマに対してはおそらくいろんな角度から答えを探すのがいいような気がして。気持ちよく1つの答えを示したい気もするけど、どう言っても足りない気がする。だから「わからない」という答えでいいのかもしれないですね。

 

――アーティストという職業に就いている以上、吉田山田の2人は音楽という形で“生きた証”を残しやすいと思っていて。だから2人にとっては音楽と何か関係のある言葉や思いが返ってくるのかなと、予想をしていたんですよ。

 

吉田 最近よく考えているのは、僕らミュージシャンと一般的な職業の人たちの差って、本当は全然ないんじゃないかなということ。例えば、一般的な家庭の夫婦に子供が生まれたとして「俺の生きた証を残してやったぜ」みたいな人ってほぼいないじゃないですか。もちろん、子供が生まれてうれしいとか、幸せな家庭を築けたとか、そういう感情は生まれると思うけど、それは今の自分が享受するものであって、「何かを残すことができた」みたいな感情は薄いんじゃないかな。それは僕らが紡いでいる音楽にも同じことが言えて、僕らも自分の作品のことを愛しているけど「もっと売れてほしかった」とか「もっとこうすればよかったな」「あの頃の表現力じゃ評価されなくて当然だよな」みたいに、おそらく多くの親が子に思うような歯痒さみたいなものをたくさん感じている。なので、ミュージシャンだから、特別生きた証を残せているとはあまり捉えてなくて。生きた証を残しているのはみんなも同じですよ、と伝えたいですね。

 

山田 そうかもしれないね。

 

吉田 ほとんどの人が「生きる」ということを特別意識していないじゃないですか。僕と山田が顔を突き合わせて「生きるってどういうことだろうね」みたいな話をすることのほうが珍しくて、僕らはこういうタイミングだったこともあり、僕らなりの答えを音楽という表現でみんなに聴いてもらうことができる。それはすごく幸運なことだし、僕ら自身もいろんな思いが言語化されて、大切な言葉として、音楽として残すことができた。そこに対してはすごく誇らしい、いい仕事ができたなと思っています。