- 吉田・山田
- 今日はよろしくお願いします!
- 社長
- こちらこそよろしくお願いします
- 吉田
- じつは、山田うどんの社長さんに取材をするということで、僕らふたりで、事前に初めて山田うどんを食べに行ったんですよ!
- 山田
- 東京に1店舗だけある蒲田店にいったんですけど、そうしたら、なんかお客さんがすごくて
- 吉田
- みんなそろって山田うどんの黄色いTシャツを着ているんですよ!たぶん、ファンのかたなんでしょう。とにかくなんか僕らのような初心者が入ってもいいのかなっていう雰囲気があって(笑)びっくりしました
- 社長
- おお!それはなんとも偶然ですね。凄い確率だと思いますよ。黄色いTシャツを持っているのは50人くらいしかいませんから
- 吉田・山田
- ええ、そうなんですか!めちゃめちゃレアじゃないですか!ふたりは確実にいましたね。僕らの隣の席に
- 社長
- 2月11日に北尾トロ・えのきどいちろう著『愛の山田うどん』の刊行イベントがあったんですよ。工場でやるからにはなにか特別なものを用意しないといけないねという話になって、急遽、つくったものなんです。そこに来た人じゃないと持ってないはずです
- 吉田
- サインも入ってましたよ。じゃあやっぱりそれだけ山田うどんさんに熱心なお客さんが多いってことなんですね
- 山田
- そして僕らがそのファンのかたに出会えたなんてラッキーだ(笑)
- 社長
- 山田うどんを初めて食べに行ってそれを見たら、山田うどんを食べる人はみんなTシャツを着ないといけないんじゃないかって勘違いしますね(笑)
- 吉田
- それにしても、山田うどんは、埼玉のソウルフードということで、いろんな方から噂を聞くんですけれども、なんと給食にも出てたそうじゃないですか
- 社長
- はい。今は使ってませんが、昔は使ってました
- 吉田
- 昔給食で食べた人は、山田うどんに行けば、あの頃の味を思い出せるってことですよね
- 社長
- そうですね。給食の箱にかかしのマーク(山田うどんのトレードマーク)が入っていたので、埼玉県民は小さい頃から山田うどんを刷り込まれているんです(笑)
- 吉田・山田
- 子どもの頃の思い出は大きいですからね。じゃあさっそく今日の本題に入らせていただこうと思います。僕たち、デビューして3年経つんです。そこで、吉田・山田という名字の達人たちに、社会人3年目に何をしていたか、その頃の夢をお聞きすることで、僕らの活動のヒントにしたいなと思ってるんです
- 社長
- はいはい。ではまず会社に入ったときのことを。まず、山田うどんは4代も続いている会社なんです。で、わたしの父親が実質の今の山田うどんの創業者のようなものなんです。だから、わたしは、創業者の息子として、周りからもそういう目で見られていました。普通の人の考えならば、親父が築いた基盤をもっと堅実なものにしていこうという夢を持つんでしょうけど、わたしの場合は正反対だった。社長の息子っていうのが嫌で嫌でしょうがなかったんです。だから全然別の道を歩んでやろうと思ってました。だから、地元の人はもう知ってますけど、大学が東京だったので、東京の友達には社長の息子ということは一切言わなかったですし、大学のときは普通に就職活動をして、全然別の会社に入ったんです。俺は俺だと
- 山田
- えー!そうなんですか!
- 社長
- 会計士・税理士になった仲間がいたので、見習ってそっちの道に行こうと思って、経理マンとして将来やって行きたいなと思っていたんです。そういう職種で取ってくれるところを探して、普通のサラリーマンとして出世してやろうと思ってました
- 山田
- そういう苦悩を持った人に出会ったのは初めてかもしれないですね
- 社長
- そうやって会社に入って、上司との軋轢っていったら簡単になるけれども、ドロドロした面を見たりして、葛藤していたのがちょうど3年目じゃないですかね
- 吉田・山田
- なるほど・・・
- 社長
- そういうふうに悩んでいるときに、ちょうどお世話になっていた当時の課長がいろいろアドバイスしてくれたんです。そうやって考えた末にこの会社を継いだんです
- 吉田
- 僕らももうすぐ30歳なんで、悩むことが多いんです。この1年で将来の10年、20年が決まるっていろんな人に言われたりするんです。暗中模索の状態なんですけど、そんなとき、歌手として何ができるかって言われたら、いい歌をつくるしかないんです。でも、それだけじゃなくて、僕らもとにかくいろんな人の意見を聞くようにしています。
- 社長
- 3年目というのはちょうど立ち止まって考えるときなのかもしれないですね。夢とか将来のことについて
- 吉田
- 今、年齢的にも自分でなんとかしなきゃとすごく思っていて、でもできなくて、悔しくて、自分はダメなんじゃないかって思うことがすごく多かったんです。でも山田社長も3年目に、立ち止まって悩んでいたっていうことがわかってすごく勇気をもらいました。ありがとうございました。
- 吉田
- ところで、お話を聞いているとわりと社長はフリーダムな人だったんですね。じつは山田という名字の人にはフリーダムな人物が多いんですよ(笑)ウチの山田も含めて・・・
- 山田
- すみません、フリーダムで(笑)
- 吉田
- そんな山田が山田うどんのかかしのロゴマークを考えてきたっていうんで、ちょっと見てあげてもらってもいいですか?
- 社長
- わかりました(笑)
- 山田
- まずは・・・(見せる)
- 社長
- うーん・・・
- 吉田
- はい、次行こうか(笑)
- 山田
- じゃあこれでどうでしょう・・・(立て続けに3枚見せる)
- 社長
- うーん・・・いいんじゃないですかね
- 吉田
- はい、次(笑)社長も空気を読んでくださってありがとうございます(笑)そんなフリーダムな山田でしたけれども、他になにか聞いておくことはないか?
- 山田
- そうですね。じゃあ最後に僕らが山田うどんの歌をつくるので、それを聴いてもらいたいんですがいいでしょうか?
- 社長
- どうぞどうぞ、事前に吉田山田さんの歌も聴かせてもらいましたけど、とてもいい歌で感動しました
- 吉田・山田
- では、行きます
- 山田
- 社長の山ちゃんオススメパンチ〜♪
- 吉田
- なんかいろんな道が閉ざされそうですけど(笑)
- 吉田・山田
- 今日はすごくためになりました。ありがとうございます!ちなみに、山田社長のオススメのメニューはなんですか?(笑)
- 社長
- パンチ(もつ煮込み)セットです
- 吉田・山田
- じゃあ僕ら帰りにそれを食べて、元気もらって帰ります!
(取材・文 神田桂一)
■山田うどん・社長プロフィール
山田 裕朗(やまだ ひろあき)代表取締役社長
山田 裕朗(やまだ ひろあき)代表取締役社長
- 生年月日
- :昭和37年7月11日
- 最終学歴
- :昭和60年3月 国学院大学経済学部卒業
- 職 歴
- :昭和60年4月 ミナミ商事株式会社入社
昭和62年9月 山田食品産業株式会社入社
平成8年9月 取締役就任
平成18年10月 代表取締役社長就任、現在に至る - 趣 味
- :野球観戦(西武ライオンズファン)
- 好きな食べ物
- :山田うどんのパンチ(もつ煮込み)
[山田うどんオフィシャルサイト] http://www.yamada-udon.co.jp
■
<吉田>今ここに、伝説が生まれました!!うどんに、バターと粉チーズを入れたのはおそらく世界初だと思います。美味すぎる。
<山田> CDでいえば、これは“リード曲”!!一口目でびっくり。インパクトがあるのに、最後まで飽きずに食べられる。食の新時代到来。食感も味付けも最高!
■鮭マヨ唐揚げ丼
<吉田>あいだのキャベツと、それに絡まるバター醤油がアクセント。半分食べて、後の半分は、多めにブラックペッパーをふって食べてみて下さい。美味い!
<山田> 今まで食べてきた魚の丼で一番!!ガッツが出る!こんなにガッツが出る丼は初めてだ。ガッツでた!斬新な丼なのに、しっかり秋を感じました。
サーモンサーモン揚げたら美味ーい!
[山田うどんオフィシャルサイト ] http://www.yamada-udon.co.jp